目を覚ますと、肩から背中にかけてひどい筋肉痛だった。
昨日、隣町のヨガクラスのtaster(お試しクラス)に、ちょっと参加してみたせいなのだ。 昨年、アシュタンガヨガのクラスを取っていた。 ところが、主催者のインストラクターさんがちょっとアバウト(これって死語?)な部分がある人で、レッスンに使う村の集会場の予約を忘れ何度かドタキャンされた。膝の故障もあったりして、私を含む他の2人のメンバーと申し合わせ、3か月ほどでギブアップ。 そして、もともと参加者5人という小クラスだったこともあり、このヨガクラスは私達3人が抜けると同時に、自動消滅する形になったらしいのだ。 それでも、3人(私、週一のエクササイズクラスの仲間で数年来の友人のJ、Jの隣人のMさん)の間では「もっとヨガ続けたいよねえ」と言い合っていたので、一番若く行動力バリバリのMさんが近隣の町で開かれているヨガクラスを捜索し、日時・場所の都合のつきやすいクラスをようやく見つけてきてくれた、というわけなのだ。 風邪で体調を崩していた私を抜きにして、MさんとJはすでに1-2度このクラスに参加してみたらしい。 この村からは車で20分ほどの距離なので、Jの車に乗り込み週末に買ったばかりのヨガマットを持って、いざヨガクラスへ! 道すがら、Jにクラスの様子を質問してみる。 このクラスはハタ・ヨガというタイプのヨガで、彼女に言わせると「私が数年前に初めて取ったクラスがハタ・ヨガだった。アシュタンガのような激しい動きはないので、精神的にリラックスできて私はこっちの方が好き」とのこと。 ふんふんと話を聞きながらも、内心「でも、1時間のクラスのほとんどを瞑想とかに充てられてもなあ」とやや懐疑的な気持ちだった。 ところで、『ハタヨガ』というキーワードでGoogleしてみると、真っ先に出てきたのがこのサイト。 その説明によると、“アサナ(ポーズ)、呼吸法、瞑想のそれらを通しつまり呼吸と体を相互作用に働かせていき潜在的なエネルギーを引き出すのが「ハタ・ヨガ」”、なんだそうだ。 さて、レッスンのある小さなホールの駐車場に着くと、だーれも来てない。 「みんなクラスの始まる直前にやって来るみたいなの」とJ。それにしても、5分前になってもインストラクターさんの姿もないと言うのは....。まあ、これがイギリス人的時間の守り方と言ってしまえばそれまでなんだけれど。 ようやく数人が姿を現し、スポーツカーで颯爽と現れたインストラクターの女性は、慌ただしく着替えのためにトイレに駆け込んで行った。 Jがレッスンの前にインストラクターさんに紹介してくれたのだけど、彼女は手短に「ヨガの経験は?そう、アシュタンガを知ってるのね。どこか怪我とか病気とかないでしょうね」と聞いただけ。 呼吸法についての説明はもちろん、ハタ・ヨガのベーシックな説明もなければ、どういう手順でレッスンが進むのかという話も何もなし。 まあ、所詮私は“お試し”レッスンということで参加したのだし、彼女としては「この先レッスンを続けるかどうかはっきりしない相手に、貴重な時間を割いて説明などする必要はないわね」というポリシーなのかもしれない。 でも、言い訳するわけでもないけれど、アシュタンガのインストラクターさんはレッスン場の手配がむちゃくちゃだったけれど、毎回毎回同じメンバーを相手に何度も呼吸法の大切さとかアシュタンガの基本について、レッスンをしながらしつこいくらい説明していたものだ。 もしも私がこの手の教室を持ってインストラクターをしていたら、一回限りだろうがなんだろうが、初心者ならある程度の説明を個人的にでもすると思う。少なくとも社交辞令的に「何か途中で疑問があれば、遠慮しないで質問してください」とか言うだろう。 だって、その一回のレッスンで“お得意様”的メンバーになってくれるか、“一見さん”で終わるかが決まるのだから、ビジネスとして捉えればこの程度のことは当たり前ではないかな? 想像だけれど、このインストラクターさんの言い分としてはたぶん「途中で入って来るんだから、参加したいという意思があるなら他の人のやってるのを真似するなりして、レッスンについてくる努力をしなさいな」という事なのかもしれない。 たしかに、これが例えば参加者が数十人の満員御礼的な人気クラスだったりすれば、「途中でクラスに加入できて、ラッキーだったなあ」と思い、謙虚な態度で臨むこともできたかもしれない。 でも、当日の参加数は私を含めて8人。どうみても“超人気・順番待ち必須!”というクラスにも見えないし、8人くらいの規模なら個人指導といっても大した仕事でもなかろうに....。 見たところ、彼女のヨガレッスンのスタイルと言うのは、ポーズや呼吸法についてあれこれ口頭で説明せず、自ら体を動かしながら「はい、息を吸って。吐いてぇ~。チャクラからのエネルギーを感じてみましょう...」などと言う、かなり抽象的な言葉を始終使う点にあるようだ。そして、彼女のお気に入りは「Let it goes....」と「Feel your energy...」らしいのだ。 床に寝たままの姿勢で行う10分ほどのリラクゼーション的な段階ですっかり混乱してしまった私は、首を持ち上げて周りの動きをキョロキョロとチェックした。でも、各自がかなり違ったポーズをしているので、何をすべきかさっぱり分からいまま、仕方無くじっと寝転がったままでいた。 その間も、インストラクターさんは「Are you OK?」とか聞いてくれる様子もなく、お得意の2つのメッセージをつぶやいたり、「インターナル・マッサージをしているつもりでぇ~」とか言う。インターナル・マッサージ....?なんのこっちゃ一体? 極め付けが最後のリラクゼーション。 アシュタンガ・ヨガである程度知識のあったサニテーションと呼ばれる動きをやって、それが終わるやいなや、無言でホールのカーテンを閉じ始めるインストラクターさん。 「あれれ?」と思って周りを見回すと、皆フリースを着こんだり靴下をはき始めた。「あ、これから最後の瞑想をするんだな」と思い、私も従った。 さて、瞑想が始まってほんの数分で、彼女のスピーチが始まった。 持参したダライ・ラマ様の本からの一節を朗々と読み上げる彼女。そして、彼女はお気に入りのこの部分を2度繰り返した。 「compassionを感じましょう。友人や家族だけじゃなく、周りを取り囲むすべての者たちへのcompassionを常に持つことです」 私もダライ・ラマ様の本を一冊だけ持っているので、彼のメッセージはある程度知っているつもりなのだけど、compassionと言う言葉で彼が伝えようとしている思いと、これらのヨガクラスとがどうにも私の中では一致しないのだ。どう頑張っても。 Jが以前話していたけれど、「この辺のヨガクラスの中には、ポーズとかしないで延々マントラを合唱するのに時間を費やしているクラスもあるんだって」ということだ。 彼らは彼らなりに真剣にヨガの精神面を探ろうとしているのだろう。 でも、正直言ってイギリス人、それも他人に自慢する為の家・車・バカンス・新しいキッチンなどの事で汲々とする人が圧倒的に多いイギリス人女性達と、そんな彼女達が健康云々よりもどこか“ファッショナブルだから”という理由で参加しているヨガクラスで、スピリチュアルな説法をしようという考えが私としてはどうにも笑えてしまうのだ。 失礼だとは思うけど。 なんとか瞑想に集中しようとする私の耳に響く、インストラクターさんの「Compassionです。Compassionの精神を忘れないことです」という言葉を聞きながら、私はふと思った。 「compassionがそんなに大事なら、わざわざ時間を割いて(ついでに参加料約1300円を払って)あなたのクラスに参加してみようとやって来た人に対してのCompassionを、もう少し態度で示して欲しかったよなあ」と。 息を吸ってぇ~ 吐いてぇ~ そしてメディテーション....。 Top▲ |
by mini_robin
| 2009-01-21 03:35
| 飼い主日記
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