年齢的なことなのかどうか、この数カ月パールが闘争本能のようなもの表に出すようになってきた。
相手はもちろん猫。 この1-2ヶ月ほど、立て続けに小規模の“猫遭遇・パール豹変“事件が何度かあって、ある時は握っていたリードで指に火傷したかのような水ぶくれを作り、ある時は猫へ向かっていこうとするパールの前に“座りはだかろう(立ちはだかるので、股の間をすり抜けてしまうので、しゃがんでパールの進行方向をブロックしてみた)”として、思いっきり後方に突き飛ばされたりした。 そして、じわじわーっと「こんな事が続いたら、いつか大きな怪我をする羽目になったりして...」と、奇妙な予感がしていたのだ。 やっぱり、女のカンなのね。 それは午後5時になってもカンカンと太陽が照りつける火曜日の午後のこと。 いつものように、村のレクレーション・グランドの端をパールを連れてのろのろと歩いていた。 グランドの真ん中では、中学生くらいの年齢の男の子たちが、正式のユニフォームをつけてクリケットをしていた。 ふと目線を落とすと、10メートルほど離れた地面にうずくまっている野うさぎ発見。 「なんで動かないんだろ。病気かな?暑いからかな?念のために、少し距離を取って歩いていた方がいいかな....」 次の瞬間、ものすごい力でリードを持っていた左手が引っ張られ、気が付いたら地面にひっくり返っていた。 逆さまになったまま目を上げると、パールが口に小さな野ウサギをくわえ満足そうな目つきで立っている。 イギリスで自分の犬が野生動物を誤って殺してしまった場合、犬オーナーが“取るべき”とされる行動って知ってます? それはできるだけ迅速に息の根を止めて、“楽にしてやること”なのでした。 彼らにとっての“cruelty(残酷な行為)”というのは、『殺してしまった』という事実よりも、「すぐに死ねなくて苦しむ時間を体験すること」なのだ。いやはや、文化の違いっていうか、死生観の違いっていうか.... そんなわけで、在英10数年で頭の中はしっかりイギリス流になっている私が、まさに死に絶えようとしている赤ちゃんウサギ(ネズミ程度の大きさだった)を目の前にしてまず考えたのが「これ、すぐ死ななかったら、どうやって殺したらいいんだろう?窒息死?首の骨を折る?」だった。 幸いと言っていいのかどうか、20秒くらい痙攣を起こした後、目を開けたままウサギは死んだ。 日常的に『無駄な殺傷はしない』がモットーで、害虫以外は逃がしてやるのを常としている私。 何とも言えない虚無感をしんみりと感じつつ茫然と立っていたら、だんだん左の掌、そして二の腕から肩、そして右膝がジンジンと痛みだし、思わず我に返った。 そうなるとあとはもう単なるヒステリックな犬オーナーである。 死んだウサギを処理するために、パールを叱りつけつつ手近な支柱まで引っ張ていき、死体を近くの日陰になっている木々の下に置く。 グランドの反対側にあるクラブハウスの前に集合している、クリケット少年たちがこっちに向けているであろう視線を感じつつ、痛みを隠して「こんなこと、なんでもないことなんで~す!」と威厳を保つ振りをして、そそくさと家路に向かった。 GPの診療時間はとうに過ぎているし、汗まみれだしくたびれているし空腹だったので、ひとまずその夜はひどい渋滞にぶつかってイライラしていた夫も加わり“mini_robin家流、うんざりした日の過ごし方”を実行することにした。 つまり、ワインを開けうだうだと夕食を取り、酔っ払ってぐっすり眠るのである。 やや二日酔い気味で目覚めた翌日。 問題の手を見ると、昨日より明らかに腫れがひどくなっている。 何よりも気になるのが、朝のお手入れをしましょうと手を洗おうとすると、痛くて痛くて石けんを転がすことも、両手をすり合わせることもできない。 もちろん、手を“結んで開いて”なんて冗談じゃない。 ひとまずダメもとでGPの予約を取れるかと電話してみると「今日はナースがいませんから、怪我は見られませんよ~」だった。 言われて見て思い出したけれど、NHSでは一時的な怪我(感染症などを併発してなくて、単に包帯を巻いたり縫合さえすればいい)の場合は看護婦さんに診てもらう、というのがルートなのだ。 で、わが村の診療所は一時はNHSの予算カットで閉鎖の危機もあったくらいの規模なので、当然のように常勤している看護婦は置いてないのだった。 そうなると、残るはこの村から10数マイル離れたA&E(救急病院)である。 当然、夫に車で送り迎えしてもらえないとそこへは行けない。 在宅仕事の日にしたとは言え、何時間かかるか分からない外来へ一緒に来てもらうほどの怪我なんだろうか.....。 今までの私ならたぶん「ひとまず一日患部を冷やしてから様子をみるか。我慢できない痛みではないし」と考えただろう。 でも、もう何か月も抱えている右ひざの故障が一番ひどかった頃、「大げさに考え過ぎかも」と我慢してしまったせいで、数カ月余計に痛い思いをする結果になってしまったのだ。 その経験は私に『痛いものは痛い。度合いがどうであろうと、税金を払っているんだから、遠慮しないで診てもらえばいいんだ』と考えるように意識変革を起こしたようだ。 昔は必ず「君のはいつだって“気の病”だからなあ」と批判的だった夫も、都合を聞くと「じゃあ病院にすぐ行こう」と快く承知してくれた。 受付から受診、レントゲン、さらに受診、と全部で約2時間かかったけれどすべて無料だし、NHSの病院でこれはまだまだマシな方だと思う。 診察結果は「骨折なし。ヒビもなし。膝と肩に軽い打ち身。まあ、2-3日はあちこち痛いだろうな」だった。 ただ、「転んだ時の衝撃で、指の関節の間の靭帯が無理に引っ張られたか、ダメージを受けたのではないだろうか」ということで、数日間は左手を休めるようにとアドバイスされた。 そして、2-3日は添え木ならぬ“添え絆創膏”風に小指から中指まで固定し、痛みを和らげる目的もあって三角巾(という呼び名でいいのだろうか?)で腕をつるように、と指示された。 いやはや、40数年の人生で腕を吊ったなんて生まれて初めてだ。 でも、この処置のおかげであれほど痛かったのに、鎮痛剤なしでも一日過ごすことができた。 一日半ほとんど左手を使わないという不便な生活を経て、今日はもうほとんど普通通りに左手が使えるようになった。 この回復力の速さよ! それにしても、今回の怪我で分かったけれど、人間の日常のちょっとした動作には、掌や指の“力加減”が意外なほど大きな役割を果たしているのだ。 物を持ち上げる、というシンプルな動作はもちろんだけれど、「あれ?これって小指が使えないとこんなに面倒な作業だったの!?」と言うような、新鮮な驚き&痛みを経験した数日だった。 ん~、人生って色々ありますね。 次の獲物はどこだぁ~ Top▲ |
by mini_robin
| 2009-06-06 02:30
| 飼い主日記
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