バースへの旅の話を書いてましたが、ちょっと変更して急遽このニュースについて書こうと思います。
日本ではそれほど大きく報道されてないようだけれど、イタリア・ラクイラで発生した地震による被害者の数はさらに増加しているようだ。 今日の昼のラジオ・ニュースを聞いていたら、がれきの下に残された生存者の救助はとうとう打ち切られれたらしい。 昨夜のBBCのレポートを見る限り、家屋の崩壊のひどさはとてもマグニチュード6.5とは思えないほどで、場所によってはひとつの村全体がほぼ完全に破壊されたような状況もあり、画面を見ながら胸が痛くなってきた。 イギリスは被害が起きるような地震とは全く縁のない国なので、どうしても“ひとごと”という気分でニュースを見てしまう。 今回の地震のニュースも当初は『ローマ北部での地震』と報道されていたので、「ローマで地震かぁ、珍しいな」くらいに感じていたのだ。 それが、時間がたつにつれてニュースの中に「イタリア・アブルッツォ地方」という名や、そして何か覚えのある町の名前「ラクイラ」が登場し始め、「学生が多く住む町」というリポートを聞いたところで「あ!」と思いだしたのだ。 それは、4年前にイタリア・ウンブリア地方へ旅行した時、いつもの夫の“思いつき”でウンブリアから山を越え、なんの前知識もなくアブルッツォへ入り、宿探しに困って一番大きそうな町を目指してたどり着いたのが、まさに今回震源地となったL'Aquila(ラクイラ)だったのだ。(土産品のティー・タオル↓。左側に赤い矢印で示したのがラクイラ) イギリス人にはトスカニーに次いで人気のあるウンブリアとは打って変わって、観光客らしき姿がまるで見かけられないラクイラの街で、私と夫は安宿の工事の騒音にうんざりしつつも、商売っ気のない普通のおじさん・おばさんが野菜を売るマーケットを冷やかしたり、地元の人に交じってあてずっぽに選んだメニューをレストランで食べてみたり、インターネット・カフェ(学生の街なので、かなりきちんとした設備が揃っていた)で時間を潰したりして数日の滞在を過ごした。 ウンブリアのように誰もを納得させるような“見所”があったわけでもないし、どちらかと言うと“シケた町”なのだけど、時間が経つうちにそこで過ごした時間のことをふと思いだす。 ラクイラはそういう町だった。 少なくとも、4年前の私と夫にとっては。 中央広場で開かれていたマーケットで、身振りで手振りでいちじくを買ったお店のおじさん(上の写真がそのおじさん&いちじく)。 カメラに気がついて何気なくポーズを取ったおばさん。 そして、町のメインストリートを埋め尽くし、特に何をするでもなくブラブラしていた大勢の学生たち。 彼らは助かったのだろうか? TVに映し出される壊れた家々を見ると、ついそんなセンチメンタリズムに浸ってしまいそうになる。 そしてそういう時、私は『運命』という言葉の重さををズシンと感じてしまうのだ。 Top▲ |
by mini_robin
| 2009-04-07 22:27
| 世の中のこと
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