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犬の人生を引き受けるということ
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一昨日から、パールの朝の散歩の距離を伸ばすことにした。

大丈夫ですか?と暖かいコメントを寄せてもらった“ちょっと変”だったパール。食欲も変わらないし、これといった表向きに目立つ症状もなし。
「これはやっぱり内面的なものかしらねぇ?」と思い、好天が続いたこともあって思い切って長距離の散歩を再開してみることにしたのだ。

このブログを読んできてくださった方は周知のことだけれど、数か月前から膝の軟組織を痛めている私は、理学療法士から「一日の散歩は30分程度にするように」と忠告を受けているのだ。そして、できる限り守ってきたこの3か月。
でも、パールの様子の変化はもちろんのこと、私自身30分程度で終了できる散歩ルート(自宅からスタートできるルートの選択肢は2つしかない)を毎日毎日繰り返すことに、正直うんざりし始めていた。





「膝の痛みが戻ったっていいさ。その時はその時だ!」と腹を決め、1時間半ほどかけて約3マイル弱のルートを歩いてみたのが月曜の朝のこと。
その日は、パールの3歳の誕生日だったこともあり、日中もいつもより時間をかけて構ってやったり、夕食にはパールの好きなサーディンの缶詰をほんの少しドッグフードに加えて与えてみた。


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次の日もまたコースを変えて同じくらいの距離を歩いた。
膝の痛み云々よりも何よりも、「3か月やらなかっただけで、これほど体力的にきつく感じるものなの!?」と自分のコンディションの衰えかたにガックリきたのだけど、長距離散歩3日目の今日は、すっかり本調子が戻った感じ。
カリカリに冷え込んだ朝の空気を吸い込みつつ、朝日に照らされた平野とそこにたむろする雉の群れをのんびり眺めつつ歩いていると、「あ~、これですよ、これ!」と独りでほくそえんでしまう。
そんな私のムードが伝染するのだろうか?それとも、久しぶりに“新境地”を歩きまわり嗅ぎまわる楽しさからなのか。パールの“変な感じ”は徐々に消えつつあるようだ。


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防寒用をコートを着て、もそもそと前を歩くパールの後ろ姿を眺めながら、「そういえば、3歳になったってことは、私達と一緒に暮らしている日々の時間の方が、これからは長くなるんだなあ」と気が付いた。
レスキュー・センターからパールを引き取った時、彼女は推定1歳半だった。
その短い日々の間に、パールは当然のごとく母親犬から引き離され、Dogs Trustになんらかの理由で引き取られ、あまり慎重に物事を考えない無責任な誰かさんに引き取られ、数か月後に再びDogs Trustのレスキューセンターに舞い戻ってくるという経験を強いられた。
そして3~6か月(この辺の詳細は、センター側もしっかりと記録していなかったみたいだ)を他の大勢のレスキュー・ドッグ達と過ごした末、我が家にやって来るという、まあ波乱な人生の幕開けを体験してきたのだ。


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引き取って丁度一年経った今年の6月末。
「これでパールも本当にうちの子として落ち着いてくれるんだろうなあ」とほぼ100%確信していた私と夫。いやはやどうして。
今回の“ちょっと変”だった期間のことや、引き取ったばかりの数か月のあらゆる不可解な行動のことなどを思い返すと、犬、それもレスキューされた犬達というのは、やっぱり内面にあらゆる部分を抱え込んでいるんだなあと、今さらしみじみ思い知らされている。

cocojさんのサイトで紹介された、3本足で健気に生き抜いているway-zちゃんの話は、グレハン・オーナーさんはもちろん、あらゆる愛犬家の涙腺をゆるませたことと思う。

Way-Zちゃんのケースを始め、この記事(The pets hit by the credit crunch )のように経済的な不安を理由にペットを手放すというタイプの人も、救いようがないほどcruelで傲慢だと思うのだ。
『ちょっと待った。オーナーの生活が成り立ってこそのペットの存在なんじゃないのか?』という意見もあるだろう。
でも、そもそも現在の主要経済国と呼ばれる国々で、どれほどの経済状況の悪化が果たして家族の一員であるペットを手放すという、切羽詰まった状況を作り出すのだろうか?

例えば、この記事は現在イギリスで起きている状況をリポートしているわけだけど、イギリスは教育費(大学を除く)は無料、医療費も無料、失業保険だって日本のように“最低○○か月勤労しないと支給しない”なんていう厳しいルールもなし。子供がいればそれはそれで別に手当がでるし、食費だって格安スーパーで買い物をして徹底的に自炊生活をすれば4人家族くらいなら“食ってけねえ!!”なんてことはまず考えられない。
そんな国に暮らしていて、どういうわけで「生活苦しいなあ~。犬、どっかに引き取ってもらおうぜ」という考えに至るのだろうか?

答は簡単。
彼らにとって、ペットは所有物の一部でしかないのだ。車とか電気製品並みに、「飽きたら処分するか買い換える」程度の気持ちなのだろう。
この手のオーナー達は、一度“家族の一員としての生活”を知った動物が、突然レスキュー・センターでの暮らし(それがどれほど十分に管理・保護されたものでも)を強いられることの動物への影響を考えてみる想像力やら感受性という機能が、ぽっかり抜け落ちているのだろうな。
私が想像するには、そういう人達ってきっと周りの人間に対しても、同じような情の薄さしか持てないのじゃないだろうかという気がしてならない。

犬一匹を家族として迎え、彼らの人生を引き受けるといこと。
それは、お金がある無しで割り切れるというレベルの問題ではないのだ。
もっと、心の奥深くで関わらなくちゃならない、もっともっと責任の重ーいもの。
そういう気がするのだけれど....。


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A dog is for life, not just for Christmas
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Top▲ | by mini_robin | 2008-12-11 00:50 | 飼い主日記
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